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固定観念に振り回されるな!

 


から44,45,46年くらい前の事ですが、
中学2年か3年生の頃に、
国語教師に「固定観念から脱することは可能か?」
問い合わせたことがあります。

 

今にして思えば、生意気なことを宣う
頭でっかちの生徒だったと思います。

 

当時、自由というものに何かしらのあこがれを持っていたんだと思います。

 

故に、自由と対極にある逸脱した考えや行為を御するブレーキのような
「固定観念」から自己を解き放つには如何にするべきか、
考えていたことがあります。

 

国語教師は一言「考えるようで考えない」そんな境地にわが身を
置くことで「固定観念」から脱することが出来るのだというようなことを
答えとして私に示してくれました。

 

私は、理解したような、また迷路に迷い込んだような
曖昧な返事でこの問題は終わりましたが、
やはり、「考えるようで考えない」という境地には至らず、
ただ、他者より、こだわりを少なくして、
振れ幅を大きくとるような習慣?(訓練?)を身に付けてきました。

 

「固定観念」の中には、自己防衛本能の働きを
促すものもあり、全てを排除するのは不可能と判断し、
基本的に決めつけないことに注意を払いましたね。

 

例えば、毎日通勤、通学する道が一つしかないという
認識を捨てました。

 

通学している時は、時に全く違う路線バスで
まるで小旅行するような感じで乗り継いだりしたものです。
(今まで見ることのなかった風景に触れることが出来ましたね)

 

社会に出てからは「複眼の思考」を知ることで
より、自由な発想をすることが楽しかったですね。

 

こうであるべきというより、
こうなのかもしれないし、違うかもしれないなァ
という振れ幅を持つと、自分の中でより広角に物事を見ることが出来ました。

 

「最終的な目的」を持っていても、
一つの手段、方法、行動で達成できればいいのでしょうが、
普通に想定外の障害は必ず、
どこかで生まれてくるものなので、
計画の段階で、複数のやり方が
必然考えることが出来るので、
その中でどれが短時間で可能か考える余地が生まれてきました。

 

要は、
「道は一つではない」

って事なんですね。

 

行くとおりの道があって、自分はその中の一本を最初、選ぶんですね。

万が一、その道がこの先どうも怪しいぞって感じたら、
立ち止まって、わき道から目的地に向かうってことは
誰でも経験していることなんです。

 

普通の生活の中で軌道修正する行為を
「願望・夢」実現にも、取り入れることで
達成を確実にするんですね。

 

その為に自分を縛る「固定観念」「思い込み」はいらないってことなんです。

 

固定観念ってなに?

「固定観念」が発生する直接の原因として
まず、本能の部分があります。

 

「食る、排出する、寝る」の生命維持活動において
「固定観念」を排除すると死にます。

 

この基本部分は外してはいけませんね。

 

成長の過程の中での経験・学習・情報から、
自己の存在意義を自覚と共に他者への伝達を繰り返すことで
保母、潜在意識に植え付けられていきます。

 

自身の知識や経験・学習・情報を自分が
納得した後、脳にインプットされ、記憶され、
「固定観念」「思い込み」となります。

 

この認識が自身の判断や行動規範となり日常生活が営まれますね。

 

「固定観念」「思い込み」の関係は、
どちらが先というのはないみたいです。

 

また、成長や環境・対人関係の変化により「固定観念」
変わっていくこともあります。
(真逆になるのは珍しくはありません)

どのような状況下においても、「固定観念」
常に意識に中に存在し続けます。

 

そして、「固定観念」は自分の行動に影響を与え続けていきます。

 

この「固定観念」を自由に扱うか否かは自分が決めるしかありません。

 

どのように付き合っていくかは自分次第です。

 

「願望・夢」を持っているのであれば、自分の行動を制御する「固定観念」
どう向き合うか考える必要があると思ってください。

 

最後までお読み頂き誠にありがとうございます。
あなたの願望が必ず実現すると信じております。
翔望